今回は歌手の小原優さんにインタビューをいたしました。
小原さんのご友人に不登校で悩む親子がいらっしゃったそうで、その親子のために「君のそばに」という曲を作ったそうです。
そして、その曲を少しでも多くのご家族に届けたいという思いで、不登校支援センターにご連絡をいただき、今回インタビューをさせていただくことになりました。
「実際のお仕事の様子も見ていただけたら」というお話をいただき、当日はインタビューの前に、パーソナリティをされているラジオ番組「夜ドン!夜は行け行け!ド~ンと歌謡曲!」の収録現場にも見学させていただきました。
小原優
オフィス・パグミー代表
T-STAR FIELD所属
歌手・司会・パーソナリティ
最新曲「君のそばに」
ラジオ出演「夜ドン!夜は行け行け!ド~ンと歌謡曲!」
第2・4週 木根尚登(TM NETWORK) 第1週 金野貴明
アシスタント担当
―ラジオの収録、お疲れさまでした。また貴重な経験をさせていただきありがとうございます。
ここからは、小原さんの現在のお仕事やその思いについて、お話をお聞かせいただけたらと思います。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
私は歌手を本業として活動しています。また声を使うお仕事も他にさせていただいておりまして、司会やパーソナリティ業もしています。
コロナ禍ではパーソナリティ業を多くやらせていただいていますね。
ーたしかに、ラジオ収録も見学させていただいて、スッと声が入ってきました。
声を使うお仕事も多いということですが、その中で小原さんが大切にしていることはありますか?
前は歌手として、他人のことよりも自分の歌の技術が上手になれば認めてもらえると思っていたんです。
けれどパーソナリティのお仕事や、司会のお仕事をするようになってから考え方が変わってきましたね。
声は嘘をつかない。
技術だけではなく、自分自身が人間として成長しないと、聞いてもらう人にも響かないことを痛感しています。
最初は容姿など、目に見えるところを変えていたんですけどね(笑)
けれど今は、とにかく自分自身を成長させることに時間を使っています。
実際、自分自身を成長させるために時間を使い出してから、聞いてくださる方からも「声が心地よい」など、ありがたい声が返ってくるようになったので、自分自身の内面が成長することが大切なんだなあと実感しています。
ーきっかけとなるようなエピソードがあったのですか?
パーソナリティのお仕事をやり始めたときのことなんですけど、2時間の番組のパーソナリティをすることになりました。
最初なので緊張するのは当然なんですけど、そこで全然話せなかったんです。
ニュースもしどろもどろで、漢字も読めなくなるし、「生放送なのにどうしよう」と思って、もう大変でした。
それで先輩にきつく怒られたことがありました。
好きなお仕事のはずなのに、怒られた恐怖から原稿を読むことも怖くなったんです。
辛いときでしたが、そこから少しずつ「また頑張ろう」と思えて、もう一度向き合い、乗り越えたことが大きかったです。
とても怖いときだったんですけど、そこを乗り越えたら今に至ってました。
ー大きな転機となった経験だったのですね。どうやってそこを乗り越えたのでしょうか。
局長に相談したんです。思い切って、思いのたけをぶつけました。
今思うと、それがきっかけでしたね。
そうしたら局長がこんなふうに言ってくれたんです。
「いいんだよ、そのまんまで。何を言われても、自分の番組なんだから自分らしくいていいんだよ。」
「失敗を恐れる気持ちはわかるけど、失敗はしてもいい。とにかく自分を知ってもらう努力をしよう。」
と言われたことが支えになりました。
あとは、家族の支えも大きかったです。家族がとても仲が良いのでたくさん話を聞いてもらいました。
それと、先輩が怒ったことも、自分の成長を思っての言葉だったことは後で思えるようになりました。
皆さんからの後押しが大きかったですね。一人では難しかったと思います。
ー「自分らしく」というのも何かキーワードのように感じました。
小原さんにとって、「自分らしさ」とはどんなものですか?
今はあるんですけど、何十年とずっと探していました。
人からの評価を気にしている自分もいましたし。「自分らしさって何なのだろう?」とすごく悩みました。
けれど今は、自分を隠さないというか、「素でいること」が私らしさなんだろうと思いました。
それでだいぶ楽になってきたんです。そのままでいていいんだということが分かってきたというか。
木根さんとラジオをするときも、大御所の方ですので、「木根さんにどう思われるだろう…。」、「木根さんのファンの方にもどう思われるだろう…。」ととても不安でした。
私自身は無名でしたし、突然現れたように感じるでしょうし…。
それでも、ラジオの収録の時、木根さんのお話も面白いので、自然と笑っていることが多かったんです。
ただ、昔は先輩に「笑ってばかりでごまかしちゃだめだ」と言われたことも心にはあり、どうしたらいいのか迷っている自分も感じていました。
そんなとき、リスナーの方や木根さんから「それが小原さんだよ」と言ってもらえたんです。
そこから、私は笑うことも一つの自分なんだなと、それをラジオで表現していくのも私らしさなんだなと思えました。
私の中でずっと根底にあった「笑ってばかりではだめだ」という思いが大きく変わった瞬間でした。
ディレクターからも「しゃべらなくてもいいんだよ、笑ってていいんだよ」とまで言っていただけて、そこからラジオに出るのも楽になりました。
人に支えてもらって、後押しもしてもらったんだなと思います。
ー周りの人から認めてもらえて、自分でも認めることができた自分らしさでもあるのですね。
たとえ今いる環境では問題とされてしまうことであっても、違う環境ではもしかしたら魅力になるかもしれないという、とても勇気づけられるエピソードだと感じました。
ー歌手になったきっかけについても聞かせていただけますか?
私もテレビ世代でしたので、テレビを見ていました。
それでテレビの中の歌手にあこがれて、私もなりたいなと思っていたのが元々あったんです。
ただ、実家が岩手なので、私自身の感覚からすると本当に夢の夢のようなことで、田舎から東京に出ても歌手になれるわけがないと感じて、実際は美容師の専門学校に通いました。
それで美容師をしていたんです。
ただ、美容師をしていたときに、病気になって、実家に戻ることになったんです。
生きるか死ぬかの大病だったので、自分の人生を振り返りました。19歳のときですね。
あと1年と言われていたので、「もしここで終わるんだったら何をしよう、何をしたい?」と思ったときに、夢だった歌手になりたいと思いました。
親にはすごく反対されたんですけど、飛び出して東京に出てきました。
それまでは、「歌手にはなれないな」、「このままでいいや」と思っていました。
でも病気のことがきっかけで私の人生は大きく変わりました。
病気にならなかったら、美容師を続けていたと思います。
それぐらいのことにならないと、私は選ぶことができませんでした。
病気のことは本当に悲しいことでしたけれど、それのおかげではじけられたというか、「好きなことをやろう!」と思えたので、私にとっては大きなきっかけでもありました。
ーあと1年と告げられた中、自分の人生と本当に向き合う出来事だったのですね。
そこから東京に出てきて、音楽を仕事にするまではどのような人生だったのですか?
思い切って東京には出てきたものの、そこからデビューするまでには7年かかりました。
オーディションに本当に受からなくて…。毎年「来年ダメだったら諦めよう」と思っていました。
本当に生活も大変でしたし、夢を追っている場合じゃないのかなとも思いました。
アルバイトのような生活でしたので会社で働くことも思ったりしていました。
それでもなかなか諦めきれなかったんですけど、最後に「これで落ちたらきっぱり諦めて、岩手に帰ろう」と決めていたオーディションがあったんです。
その会場で、隣に年配の方が座っていらして、「演歌志望の方なのかな」と思いながら、待っている間にお話をしていました。
「7年間オーディション受からなくて」とか、「これでダメだったら岩手に帰ろうと思っている」とか。
そんなお話をしながら、「お互い頑張ろうね」と言い、別れたんです。
それで私のオーディションの番になって、会場に入ったら、さっきの演歌志望の方が面接担当者の真ん中の席に座ってたんです!
本当にドラマみたいな展開で、事務所の社長だったんです。
「え!!」って驚きましたが、面接前にお話をしていた方ということもあり、いつもより落ち着いて歌うことができ、合格することができました。
そして、そこから1年レッスンも受けて、デビューすることが出来ました。
もちろんそれからも大変だったんですけど、巡り巡って、今の事務所に所属させていただいて、定期的にCDも出せるようになりました。
最初のころは、CDが売れる売れないということを気にしていましたけれど、今はCDを出せることやコンサートをできることへの感謝をとても大きく感じています。
「売れたくないのか」と言われたら嘘になるんですけど、それでもCDを出せることへのありがたさ、感謝の思いが大きくなっていますね。
ー歌手活動をされる中で、印象に残っているエピソードを聞かせてもらえますか?
やっぱり、3.11があったときですね。
それまではずっと東京で仕事をしていたんですけど、何か恩返しができないかと思ったんです。
ありがたいことに東京でお仕事も安定していて、ラジオもあったんですけど、「やっぱり帰ろう」と思いました。
そこから、また7年になるんですけど、仮設住宅を回りました。
ラジカセとマイクを持って、ミニコンサートをずっとやっていました。
そこで皆さんと交流したことが、どんなコンサートよりも自分が成長させてもらったと思っています。
元気を与えるはずが、私もたくさん元気をもらえた7年間でした。
私の大きな財産です。
もちろん、最初は地元のテレビにも相手にしてもらえず、つらい思いも感じたときもありました。
けれど、「あと1年」と言われてたいのが7年も生きられたので、「もうやれるところまでやっちゃおう」という気持ちでやってきました。
ー今回ご連絡をいただくきっかけとなった曲「君のそばに」に込めた思いも聞かせてもらえますか?
歌詞の「肩を貸すよ」という表現が印象的でした。
あなたは、「人よりもダメな存在ではないんだよ」ということを伝えたい思いが強いですね。
親の気持ちも伝わってきますし、子どもの気持ちも伝わってきます。
だから2人それぞれに何かあったときに「大丈夫だよ」、「いつでも寄り添える人はいるんだよ」ということを伝えたくて歌にしました。
私は親も、子どももそれぞれの経験をしているわけではないですけど、状況が違っても、自分のこれまでの境遇と重なりました。
もしかしたら同じ気持ちなのかもしれないと感じて、つらさを経験した分、今つらさを感じている人に寄り添いたいという思いを持っています。
ー今、音楽に興味がある子たちに、メッセージをいただけますか?
音楽は人を元気にして、自分も元気にしてもらえる仕事です。
私も誇りを持っていますし、ありがたいことでもあると感じています。
音楽に限らず、夢中なことをどんどんやっていってほしい。
そのことは直接その職業に就かなかったとしても、活かせる場面がきっとやってきます。
そして、夢中なことを続ける中で出会った人たちが、また自分をさらに成長させてくれます。
私自身、高校を辞めて、通信制高校に行ったという経験もしています。
ですので色々な人生の歩み方があることを感じていて、その中で私の場合は人との出会いが自分を大きく変えてくれたので、皆さんにもその機会が訪れることを願っています。
本当に自分を信じて、好きなことの道に挑戦してほしいなと思っています。
私も、コロナも落ち着いていく中で、歌をもっと歌っていきたいなと思っています。
本日はありがとうございました。