インタビュー前半では、マインクラフトの魅力や可能性について教えていただきました。
前半のインタビューはこちら↓
タツナミシュウイチさんインタビュー前編!「マインクラフト」が子どもの生きる力を育てていく~魅力を徹底紹介!~
「なんとなくマインクラフトという言葉は聞いたことがある」という方にとっては、その見方がガラリと変わるような情報ばかりでした。
さて、後半は「タツナミシュウイチ」さん自身に、よりスポットライトを当てて、その生き方についてお話をお聴きしていきます。
唯一無二の生き方ゆえに、嬉しいことも苦しいことも数々の経験をしてきたタツナミさん。その経験から生まれるメッセージはどれも力強く伝わってきます。
ータツナミさんはどんなお仕事をされているのか、教えていただけますか?
この質問はよく聞かれることなんですけれども、「タツナミさんの仕事って何ですか?」って聞かれた時に、すごく困るんですね。
あえて言うのであれば、僕の仕事は「マイクラおじさん」です。
僕のような仕事をしてる人って今まで世の中にいなかったですし、おそらくこれから出てくるかどうかも分からないんですね。
僕の仕事を継いでくれる人が現れたら、多分その人が「二代目マイクラおじさん」になると思います。
例えば、僕はマインクラフトのコンテンツを作ったりとか、ワールドを作ったりとか、データを使った教材を作ったりということもしています。
あと、マイクラで扱う考え方をカリキュラム化して、教材にしていくことも僕の仕事でもあります。
他には、大学で研究している課題の一つでもあるんですけれども、マインクラフトを特別支援学級などでどういう風に活用していくのか、使えるものにしていくのかという研究もしています。
あとはマインクラフトカップ全国大会では審査委員長をやっています。
そして、実はその裏側では慶應義塾大学のSFC研究所で「デジタルものづくり」という研究課題で、マインクラフトを使ってモノづくりをどう表現しているのかということを突き詰めるような仕事もあります。
もちろん、YouTubeでいろんな動画を作って、おもしろいゲームとして遊ぶ動画、または学びの動画も作ったりしています。
あとは全国各地津々浦々、講演会に行ってマイクラの可能性やエデュテイメントの可能性というのを伝えて回ったりしています。
もう本当に日常やってること全てが学びに僕は繋がってると思っていて、TwitterではよくDIYの情報を発信したり、あとは家庭菜園とか言われる農業に関わるようなものを情報発信をしたりもしています。
そして、そういうジャンルに特化しているYouTuberさんとコラボしたりもしています。
あと僕は元々子どもの頃からキャンプが好きだったんですけども、キャンプとマインクラフトをクロスさせて、「リアルマインクラフト」ですね、「実際の世界でマインクラフトやるとこんな感じだよ」みたいな企画を動画にして発信したりもしました。
本当にいろんなことをやってきたんですよね。
ですので、こういう仕事をしてる人って他に誰もいないんですよ。
業種として存在しないので、「タツナミシュウイチの仕事はタツナミシュウイチである」、「マイクラおじさんである」としか言いようがないというのが今のところなのかなとは思います。
ですので、税務署に説明する時めちゃくちゃ困ります(笑)
「どういうお仕事ですか?」って言われても、「ゔっーー」ってなりますね(笑)
「大学で研究をしております」、「プログラミング教室をやっている会社の執行役員をしております」と一応説明はしています。
ただ僕の中では、僕の活動、僕の仕事は「マイクラおじさん」っていう仕事をしていますっていう感じですね。
ーまさに唯一無二の仕事ですね。好きが学びや仕事に、あらゆる経験がつながっていく感じですね。
そうですね。
もう「マイクラおじさん」っていうのは僕の生き方多分そのものだと思います。
ただ、最初からこれをやっていたわけではなくて、昔は普通に会社員してた時もありましたし、制作会社に勤めた時もありましたし、声優をやっていたこともありました。
あと音楽制作もしていましたね。本当にいろんなことをしていました。
でもその集大成としてマイクラおじさんが出来上がったっていうところではあるので、動画で喋る時も「タツナミさんめちゃめちゃしゃべり上手ですねー!」とかって言われるんですけど、「それは、実は昔声優をやってたからなんだよね」と答えたり。
「なんか表現とか喋り方とか子ども達への伝え方がすごく何か面白い」とか、「分かりやすくユニークだ」って言われるんですけど、僕は舞台の上でお芝居をしていたっていう経験もあるので、例えば体を使って表現したい時は、体に大きく動きをつけてとか、時には淡々と話して緩急をつけて、聞いてる人に飽きられないようにとか、そういうこともできたりするのはおそらく今までやってた経験というのは生きてるんだろうなとは思いますね。
今までやってきたことの25年間の集大成が今の私の仕事なんだろうと思います。
ーこれまでの集大成として「マイクラおじさん」が形作られたのですね。その中でも、エデュテイメントというのが活動の核となっているのでしょうか。
そうですね。
特にそれが顕著になったのは、自分に子どもが生まれてからですね。
やっぱり自分に子どもが生まれて、
「この子が将来どう生きていくんだろうか」
「この国でどういう教育を受けていくんだろう」
「大人になった時にどういう仕事をするんだろう」
なんていうことを想像した時にですね、やっぱりあの不安が残ったんですよね。
どうしても今の日本の教育は、はたから見ていて必ずしも万全なものではないっていうのを僕も感じていました。
そしてそこに自分の大事な子どもを送り出すっていうのは不安が残りました。
スキルなりなんなりを十分に得られないまま社会に出て行ってしまったら、
「きっとこの子は路頭に迷ってしまうんではないか」
「日本国内で仕事をさせていいんだろうか」
って考えたときに、
「では海外に仕事に行く選択肢も与えておいた方が良いのではないか」
とか、そういうことをたくさん考えました。
そして、やはり教育活動であるとかそういったものへの啓蒙というのは教育を仕事にしている教育関係者だけではなく保護者にも気づかせなければいけないことなのだろうなと思いました。
少なくとも私たち夫婦が気づいたことぐらいはシェアしていってもいいんじゃないか。
そうした思いが今の仕事に繋がってる部分っていうのはありますよね。
ー目まぐるしく世界が変わっていく中で、子どもたちが生きる世界はどうなるのだろう、どういう力が必要なのだろう、という視点は、ここまで伺ってきたマイクラの世界を生きる視点とも重なりました。
そうですね、リアルマインクラフトだと思いますね。
本当に生き方自体がサバイバルだと僕は思いますね。
生き延びる方法というものを見つけていかなければいけないですし、それを自分自身の手で作っていかなければいけないっていう点においては、マインクラフトのサバイバルモードとクリエイティブモードを同時にやっているようなもんなんだろうなというふうには思いますね。
どちらか片方だと破綻しますし、両方がバランスよく揃っていないとおそらく自分自身や自分の子ども達、自分の子孫たちが生き残っていくっていうのはおそらく難しいんではないだろうかなという風には思いますね。
そういう意味ではメタバースの世界、マインクラフトの世界の中でそれを練習することができるって言うのは子ども達にとってはものすごいに学びの要素になるんじゃないかなと思います。
ー確かに、マイクラの中で学べるものというのは現実の世界でも求められる力になっているのですね。
ーこれまでとてもユニークな活動をされてきたと思いますが、活動されてきた中で思い出に残るエピソードを教えてもらえますか?
いやあ、いっぱいありますね。
ありとあらゆることが思い出ですし、もう感動したことも多いですし、嬉しかったこともたくさんあります。
あと逆につらかったこともありますし。良いことばかりではなかったですから。
良かったことであれば、マインクラフトの開発者であるマルクス・ペルソンさん、通称ノッチさんと実際にお会いしたりとか、あとは今のマインクラフトの開発のトップであるジェフさんとお会いしたこともあります。
あと、いつもはインターネット上でやり取りをしている方なんですけど、シアトルにマインクラフトの開発本部みたいなところがあるんですね。
そこでマインクラフトのEducation Editionや通常のBedrock Edition、Java Editionっていうようなものを開発したりしている人達がシアトルのベルビューっていうところで働いているんです。
そこに今から4年ぐらい前にですね、学術研修で訪れたことがありました。
シアトルの幼稚園から大学まで、ワシントン大学とかまで行ってきたんですけど、あの向こうの学校とか教育というものを視察するために行ったんですよ。
また、ベルビューにあるマイクロソフト本社にも行きまして、そこでいつもインターネット上でやり取りしてるクインさんっていう人と初めてそこで会って、「いやあ、やっと会えたね!」っていうのもすごい良い思い出です 。
マインクラフトのEducation Editionの開発担当のトップだったディアドロさんっていう女性の方からはマインクラフトのeducation Editionのスタッフしかもらえない T シャツを特別に頂いて「あなたこれを着て日本でマインクラフトのエバンジェリスト(技術や魅力をユーザー、エンジニアに伝える人)として活動してください」とかって言われて頂いたもので、今でも額に入れて飾っています。
私の最初の頃の、昔のプロフィール写真にはこのシャツを着て映っています。
あとはマインクラフトで日本で活動している中ではヒカキンさんとか有名な方達と一緒にお仕事させていただいたりとかいろんな思い出があります。
まあでも、それでも今まで1番思い出に残るエピソードを凌駕するんだろうなと思うのがこれから先に待っているだろうなとは思います。
それは、うちの子どもたちが「うちのパパはマイクラおじさんだ」って知る時ですかね。
今はまだ上が5歳で、下が3歳なので、パパ=タツナミ先生ではないんですよ。
学校の先生をしていることは知っているんですけど、マイクラで先生をしていることは知らないので、おそらくそれを知った時がおそらく僕の人生の中で一番大きな思い出になるんだろうなということを思うと、ちょっと今からドキドキですね。
ードキドキでもあり、ワクワクな瞬間でもありますね。またそのユニークな活動ゆえに、誹謗中傷もあったとお聞きしましたが、どのように乗り越えてきたのでしょうか。
そうですね、ある意味僕って昭和の時代ではいわゆる社会病理を持った人間なんだろうなというのはずっと思ってました。
きっと僕は世の中に適合できない人間だったんですよ。
当然、クラスの中でうまくやっていくっていうことができませんでした。
めちゃくちゃいじめられました。
時々エピソードで生放送とかでも笑い話代わりに言うんですけど、学校の教科書はビリビリに引き裂かれましたし、牛乳とかぶっかけられて使い物になりませんでしたし、何回も買い替えてもらいましたね。
中学校の時、中学2、3年が一番ピークでした。
僕にとっては暗黒時代でしたけど、学校のジャージを焼却炉でガンガン燃やされたこともありますし、上履きなんかもうカッターで引き裂かれるなんていうのはもう日常茶飯時でした。
あとは他にも物理的に殴られたりもありましたけど、それを学校の担任の先生に言っても、解決してくれなかったんです。
ずっと中学校のときはいじめられてました。
中学校の時は僕はアニメやゲームが大好きでしたし、理科も大好きでした。
教科自体も好きで天文学とか地質学と化学ってのが好きでした。
アニメもいろんなことがとにかくすごく好きだったんですけど、当時は好きなものを好きだと言うとですね、「オタクだ」とか、「マニアだ」とかって言われて壮絶ないじめを受けたんですね。
それで、僕は誰にも、何も、言わなくなっちゃったんですよ。
そして、中学校で壮絶ないじめを経験していたので、高校に入ってからとにかくその自分の好きなこととか趣味とかそういった夢とかそれとも誰にも言わなくなっちゃったんですね。
暗い学生生活をずっと送っていました。
ただ僕にとって学校は、「まあとりあえず行っとけばいい」と割り切っていました。
「面白くないのはわかっているから別に誰と仲良くしなくてもいい」みたいな感じでした。
「だって学校なんか面白くないことを面白くない奴らがやってるんだからそこに行ったって何も得るものがないものは分かっている、ただあそこに行かないと多分親は困るんだろうな」っていうことだけは分かっていたので、じゃあ「まあいっか。壮大な暇つぶしに行こう」みたいな感じで中学校の時は過ごしていました。
ただ、そうは言ってもですね。
学校の中に唯一面白かったことが中学高校とそれぞれあって、基本的にひとりぼっちでやってたんですけど、中学校の時は放課後になったらずっと理科室にこもっていました。
たった一人の科学部っていうのをやってましたね。
実験に次ぐ実験を重ねて、顧問の先生に薬品とか出してもらって、それで化合の実験したりとか、黒色火薬を作って遊んだりしてましたね。
そこで黒板にシュバルツシルト解の重力方程式を解いて、ぶわーっと書き殴って「明日、理科の授業でこの教室に来たやつは、これ何だか全然わかんねえだろうな、へへっ」と思ってそんなんで優越感に浸ってたりとかしてました。
あと高校の時はパソコン研究会みたいなのがあったので、そこでコンピューターを使ってみたりとか、コツコツやったりしてましたね。
あといじめられっ子だったのが嫌だったんで、空手部入って体鍛えたりとかも。
僕は学校の授業やクラスメイトといるのがつまらなかったんです。
「今後の長い人生で彼らと関わるわけではないから、別に仲良くしなくたっていいよ」と、「とりあえず行くだけ行って、終わった後の一人の時間を十分に楽しもう」ということはやってましたね。
そういう経験もあったので、僕ってすごい変わった人だったんですよね。
なんか人と同じことができないとか、あと会社に就職してもやっぱり一般の会社員としてはなんかチームワークが取れなかったり苦手だったりとか、人とのコミュニケーションが苦手だったりとかっていうところがありました。
未だに誰かと組んで仕事をするっていうのは苦手ではあるんですけどね。
でも、やっぱり自分の楽しいと思えることを仕事でも見つけてからは、人とコミュニケーションを取ったりするのも楽しくなりました。
もちろん同じマイクラの話をしてるんで、楽しいんですよ。
これがつまんない仕事の話だったら絶対今もつまんないと思うんですけど、僕自身が好きなことを仕事にして、それを同じ好きなことがある人と話をするって言うのがすごく楽しいんだっていうのが分かりました。
そこからは世の中がバラ色になりましたよね。
だから自分自身が学生時代に積み上げてきたことが、大人になってそれが間違いじゃなかったっていうことは証明された感覚です。
それが楽しい仕事に繋がりましたし、家族というものを持てて幸せな人生に繋がったのはまず間違いありません。
あの学生時代は、暗黒の時代でしたけど、自分が楽しいと思えるものをとにかく続けてきたのは良かったなと思いますね。
ー苦しい中でも好きなことに出会うというのは大きな支え、原動力になるのですね。
僕自身今45歳になんですけど、45歳になってからですね、
「あーよかった」って気づかされた事が一つあっったんです。
「これからの社会は学歴じゃなくなる」という事をある大学の先生に言われたんですね。
「これからは学歴ではなく、学習歴です」と。
「これから大事なのは『どこで』学んだかじゃない、『何を』学んだかの方が、これからの世の中はものすごく大事になってきます。」と。
「その意味において、タツナミ先生がやってきた事っていうのは完璧なまでの学習歴をお持ちだ」って言われたんですよね。
僕、学校の成績とか良かったわけではないですし、いい学校出てるわけでもなんでもないんで学歴自体はほとんどないに等しいんです。
でも、やってきたこと、学校を出た後で社会人としてやってきたこととか自分の自主活動でやってきたこと、学び続けてきた事っていうのが今の集大成として仕事に繋がっているっていうことを知った先生が、「タツナミ先生の学習歴は完璧です」と。
「すごい積み上げをしてきているから、世の中の先生たちはタツナミ先生の生き方を学ぶべきだ」みたいなことを言ってくれたんですね。
その時に僕めちゃくちゃ救われて、僕は学歴がないとか、社会不適合だとか、自分勝手に仕事をしてきた、どちらかというと負い目を持ってきた人間なんです。
でも、「これからの時代にはあなたのような生き方こそ必要なんです」と、とある大学の先生に言っていただけてですね、自分にとってものすごい自信になりました。
この生き方というのは、子ども達にも誇っていいんだと思いました。
自分の好きな事をどんどん継続していくことを突き詰めていくこと。
それはどこでもできるって言うのは僕にとっては真理なので。学校じゃなくてもできるんですよ。
僕は、家でしたり、外でやったりしたことの方が多いので、
「好きなものを見つけて学び続ける」
「場所は関係ない」
「大人になるまで学べ」
ということが大事なんだろうなと思いますね。
ー学習歴という考え方は可能性が広がる勇気づけられる考え方ですね。子どもたち自身が好きなことを見つけるためにはどうしたらいいのでしょうか?
ありきたりな言葉のように取られるかもしれませんけれども「何でもやること」だと思います。
何でもやる事っていう言葉の中にはいろんなものが内包されています。
つまり、「全方向全方位のアンテナを張れ」ってことなんですよね。
こっちの分野が好きだから常にこっちの方ばっかり向いているだと、
実は自分のすぐ後ろにめちゃくちゃ面白いものがあった可能性を見逃してしまうかもしれません。
実はそれに気づいていれば一生その仕事できたかもしれないのにっていう人間の選択ミスってあったりするんですね。
「そういうものがあるんだ」ということを常に頭の中において、全方向にアンテナを張ることが大事です。
あとアンテナ張っても、張って安心していては見つけられません。
全方向、ありとあらゆるジャンルにアンテナを張ってみるようにして
そこに「面白いものはないか」と探し続ける好奇心を持つことです。
見つけるためには探さなきゃいけません。
ですので、「世の中のありとあらゆることに目を向けて、探し続けて、つかんでください」っていうことです。
好きなものも得意なことも向こうからは来ません。
必ず自分でつかまなきゃ自分のものにもなりません。
ありとあらゆるもの、ありとあらゆる方向を見て、面白いものはないかと面白いものを探し続けて、あったらもう迷わずつかむ、自分のものにすることを、「誰の目もはばからずやってください」ということですね。
それは恥ずかしいことではないので。むしろできてない人間の方が恥ずかしいので。
周りに遠慮してとか、なんかそういうものが好きというのは、周りから変な目で見られないかなとか、そんなこと考えてるほうが恥ずかしいので。
「自分の好きなものは、自分勝手に自分で掴みにいってください」という感じですかね。
探し続けて、見つかったらそれをやり続ける。
継続し続ける。片時も休まずにやり続ける、ですかね。
ー最後は保護者の方に向けて、メッセージをいただけますか。
保護者さんにはですね。
強く言いたいのが「アップデートしてください」ということですね。
新しい情報、新しい考え方、新しい文化、新しい技術、新しいものを常に取り込んでくださいということですね。
皆さんが持っている価値観や知識、情報、技術はもう過ぎ去ってしまった平成の時代のものです。
もっと悪く言えば、昭和のものです。
「時代遅れのものを令和に持っていてはいけません」ということなんですね。
今、令和を生きている子どもたちに与えるものは令和のものでなければいけないんですよ。
令和に生きている子どもたちに昭和の物を与えないでくださいと。
令和を生きている子どもたちに昭和のアドバイスをしないでください。
それは子どもたちにとって退化を促していること、時代遅れを促していることに他ならないので。
「大人は令和の情報を貪欲に取り込んでアップデートをして、それをもとに子どもたちと歩んで行ってもらいたい」ということが保護者の皆さんに言いたいというか、いつも言っているメッセージですね。
そうでなければ子ども達は令和を生き抜くことができません。
これは生死に関わる事だと僕は思っています。命に関わることだと僕は思ってます。
彼らが令和を生き抜いてちゃんと最新技術にアンテナ高く、時代についていき仕事をし、飯を食っていくことができなければ、皆さんはお孫さんの顔を見ることができなくなるかもしれません。
それは現実のものとして受け止めていただいて、それに必死になって時代について行ってください。
むしろ子ども達の方が先を行ってるかもしれないので、その場合は子ども達に教えを受けてください。
大人は別に先駆者でもなければ卓越した技術者でも超能力者でもないので。
ものによっては今の子どもたちの方が技術や知識を持っていることはたくさんあります。
下手すれば、スマートフォンでフリック入力できるのが小学生の方が早かったりしますよね。
それは大人の方が劣っていることを自覚しないといけないんですよ。
子ども達に追いつかなければいけない、おそらく追い越すことはできないです。
であれば、せめて追いつくぐらいはしなければいけない。
アップデートをしなければいけない。
彼らと伴走して走っていくことをしなければいけない。
もし彼らが大人の知識や技術や経験を知りたいという時に、初めて皆さんの生きてきた経験というのが役立ちます。
ただそれは伴走をしていなければ分かり合えるものではないですし、
彼らと一緒に生きていかなければとてもできるものではありません。
一方的に与えるのではなく彼らが求めた時に与えてあげられるように、しっかり彼らと一緒に、子ども達と一緒に、生きていてください。
そのためにはアップデートが必須です。
新しいものを常に取り込んでいてください。努力を怠らないでください。
今の令和の時代頑張るのは子ども達じゃなくて大人の方こそ頑張らなければいけないので、
必死に頑張ってください、ということをいつもお話しています。
ー私たち大人も一緒に成長していく、そして伴走していく姿勢が大切なんですね。本日は貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。
いえ、上から目線で大変申し訳ございません!
私も今必死に、一生懸命やっている最中です。本日はありがとうございました。
タツナミシュウイチさん
マインクラフト歴12年の『マイクラおじさん』
アジア、日本で初のOfficial Minecraft Partner の一員としてマインクラフトのプロマインクラフターとなる。
マイクロソフト認定教育イノベーター(MIEE)としての活動に加え、明治大学創新研究所や慶應義塾大学SFC研究所では、マインクラフトの学校教育への活用について共同で研究を行っている。
マツコの知らない世界(TBS)、情熱大陸(毎日放送)など、メディアにも多数出演し、マインクラフトの教育的効果について広く発信を行っている。タツナミシュウイチ オフィシャルwebより