「不登校」、この言葉はただ単に登校していない状態を表す言葉なのですが、この言葉に抱くイメージは人によって様々です。
あなたは「不登校」という言葉にどんなイメージを持つでしょうか。
よくお聞きするのはこうしたイメージです。
・心が弱っている状態
・サボり、甘え、怠けているだけ。
・いじめなどが原因にあるのではないか。
・別に学校に行くことが全てでないから気にしていない。
・育て方に原因があるのではないか。
・ゲームが原因でいけなくなったのではないか。
・心が限界を超えたサイン。
あなたのイメージに近いものはあったでしょうか。
このように、不登校へのイメージは人によって様々です。「サボり」など、子ども自身の姿勢を否定的に捉えるイメージもあれば、「心が限界を超えたサイン」など、子ども自身の心の健康を案じるイメージもあります。
もちろん、いろんな背景、状態の子がいるので、心理状況やその姿勢を1つに評価することはできません。
しかしながら、もし「心が限界を超えたサイン」として、不登校という状態になっているにもかかわらず、周囲が「サボり」として受け止めていた場合は、どうなるでしょうか。
きっと、子ども自身の心理状態にポジティブな影響を与えないこと、また時間が経過しても改善しないことは想像がつくかと思います。
それだけ、目の前の子どもの心の状態を理解することは大切なことになります。
「不登校の子」、「不登校の児童生徒」、「不登校児」など、不登校と子どもを結び付けた表現はいくつかあります。
実際に不登校にかかわる情報を調べる中で、当たり前のように目にしているでしょう。
しかしながら、「不登校の子」という視点でお子さんをとらえることには注意が必要です。
お子さんの心のつらさを理解するために、学校を休んでいる心情や、休むまでの背景に思いを巡らすことは大切です。
それでも、お子さんのことを思うがあまり、「うちの子どもは不登校なんだ」と強く思いすぎたり、悩みすぎたりすることにも注意が必要となります。
私たちは、注目したもの同士に関連性を見出そうとする傾向(バイアス)を持っています。
私たちは視界に入るすべてのものを、同じ重要度で考えてはいないですよね。
例えば、横断歩道を渡るときであれば、信号や車などにより注意を向けるでしょう。
たとえ、視界の中に、道に生えている草が目に入ったとしても、そこに最も注目するわけではありません。
このように私たちは、視界に入るものすべてを同じ重要度で認識していません。
物事の印象には強弱があり、私たちは注目したものの重要度が高くなります。
そして、私たちにはさらなるバイアスがあり、それは重要だと認識したものを他の物事と結びつけてしまうことがあるのですね。
例えば、不登校の悩みが大きくなるあまり、お子さんのことを見ていると、いつも不登校のことが思い浮かんでしまうときは、お子さんのあらゆる行動を不登校と関連付けてしまうかもしれません。
・家に電話がかかってきても全く出ようとしない。
→「不登校だから、人と話すのもできなくなったんだ…。」
・ゲームに夢中になっている。
→「ゲームを辞められないから不登校なんだ。」
・先生から預かった学習プリントを渡してもまったくやろうとしない。
→「不登校だから、勉強のやる気が無くなっているんだ。」
・朝なかなか起きてこない。
→「朝起きれないから不登校なんだ。」
きっと多くの人が一度は思ったことがあるかと思います。
しかし、こうした原因と結果の関係はいつも正しいとは限りません。
こうしたお話を親御さんとも一緒によくよく振り返っていくと、
・家の電話に出ないのは学校を休む前からだったり。
・ゲームも学校通っているときから夜中までやっていたり。
・そういえば宿題もよく忘れていたり。
・遊ぶ予定など楽しみな日は自分で起きて来たり。
このように、実は不登校と関係のないことまでお子さんの行動と結びついてしまうことが多くあります。
そして、こうした因果関係の誤りが単なる誤解で終わればいいのですが、そうはなりませんよね。
たとえ誤った認識であっても、不登校の悩みが大きくなっている状況であれば、当然原因とされたものを何とかしようとするでしょう。
しかし、そもそもその原因とされたものが無関係なこともあるため、それを解決しようとしてもうまくいかないことが多いかもしれません。
原因を解決すれば問題も解決するというシンプルな仕組みであれば、不登校という悩みもすぐに晴れるのかもしれませんが、心という目に見えないモノがゆえにその状態はなかなか理解しにくいかもしれません。
ここまでお話してきたように、今のお子さんの行動は、実は不登校とは関係のないことかもしれません。
例えばお子さんが今夢中になっていることなどは、もしかしたら将来やりたいことにつながる素敵なものかもしれません。
もしかしたら、お子さんの個性が輝く天職につながるものかもしれません。
不登校の悩みが大きくなりすぎてしまうと、私たちは知らず知らずのうちにお子さんの素敵な一面や成長の瞬間を見失ってしまうかもしれません。
けれど、このバイアスというのは備わっているものであり、無くなるものではありません。
だからこそ、注目を向けたもの同士を結びつけてしまうバイアスに陥っていないか、定期的に振り返り、気づくことが大切となります。
このブログを読んでいただいたことも、もしかしたらそのきっかけになれば幸いです。