「子どものことをたくさんほめましょう」
「子どものことを認めてあげましょう」
おそらく、不登校のことを調べる中でたくさん目にしたであろうアドバイス。
しかし、このことをご家庭でしっかりできるかというと、
「子どものことをなかなかほめてあげられなくて」
「今までほめてこなかったのが原因なのかも」
こうしたお悩みをお聞きします。
よく目にするアドバイスでありながら、なかなか上手にすることが難しい「ほめる」というかかわり。
今日はこのテーマについてお話していきますね。
以前、学校の先生とお話した際に、こんなことをお聞きしました。
「ほめるのは難しいんですよね。同じほめ言葉でも『この子には響いている』、『この子には響いていない』というのが目の輝きでもわかるんです。響いたときは目が輝くんですけど、響いていないときは目に力が無くなるんです。」
学校の先生でも苦労されることがある「ほめる」というかかわり。
ご家庭で上手にほめるためにはどんなことを意識したらよいのでしょうか?
「ほめる」というかかわりを改めて分解してみると、私たちはほめる時にはその行為を、ほめるに値するかどうか評価することをしています。
ある行為が、ほめることにふさわしいからこそ、ほめているということです。
ただし、そのふさわしいかどうかというのは何によって決まるのでしょうか?
もうお分かりかもしれませんが、ある行為がほめることに値するかどうか、それを決めているのは、ほめられる人の行為ではなく、「ほめる人の価値観」となります。
ほめる人の主観的な評価によって、その行為をほめるかどうかというのが決まります。
ほめる人が「すごい!」と思えばほめることに、「まだまだ」と思えばほめることはないでしょう。
ですので、同じ行為、結果であっても、ほめる人もいれば、ほめない人も当然出てきます。
そして一方で、ほめられる人も、自分がした行為がほめられることにふさわしいかどうか、その人自身の評価が関係しています。
例えば、テストで90点という点数を取ったとしても、嬉しい子もいれば、悔しい子もいるでしょう。
同じ行為、結果であっても、「ほめられて嬉しい子」もいれば、「ほめられても嬉しくない子」もいます。
このように、ほめるというかかわりはお互いの価値観による影響を受けやすく、すれ違うことも多いため、学校の先生でも難しさを感じるかかわりとなります。
ほめる人がほめたいポイントと、ほめられる人がほめてほしいポイント、この二つが一致したときはお互いにとってとても嬉しい時間となるでしょう。
しかし、このポイントはしばしばすれ違うのでうまくかみ合わないことも出てきます。
もちろん、ほめられる人の「ほめてほしいポイント」に合わせることができると、噛み合うことはできますが、なかなか難しいというご相談を度々いただきます。
「ほめた方がいいのはわかっているんだけど、なかなかその気になれなくて」
というように。
たとえば、親御さん自身にもお子さんと同じ学生の頃、勉強や部活で苦労したり、友達関係で悩んだりしたこともあったかもしれません。
そのときに、自分で立ち向かい、乗り越えたという経験をしてきた方にとっては、それが親御さんにとって大切な学びとなっているでしょう。
そして、その後の人生においても自分を支えてくれた価値観になっているかもしれません。
そうしたときに、同じ境遇にいるように見えるお子さんが、自分の時とは異なり、悩みから目を背けているような状況にいる。その悩みには目を背けつつも、自分の好きなことには夢中になり、得意げに披露してくる。
そうしたお子さんの姿を自然にほめられるかといえば、気持ちが追い付かないときもあるでしょう。
こうした場面のときには、親御さん自身が大切にしてきた価値観が大きく揺さぶられることになります。
その価値観が大切であればあるほど、そこに向き合わないように映るお子さんをほめるというのは、気持ちが追い付かないかもしれません。
しかし、「子どものことをほめましょう」というアドバイスが絶対であればあるほど、「ほめなくてはいけない」と無意識に自分の価値観を抑え込んでしまうことも出てきます。
「子どものことをたくさんほめましょう」、「子どものことをたくさん認めましょう」。
こうしたかかわりは確かに大切ですが、親御さん自身が納得できないまま、ほめ続けることは難しいかもしれません。
どこかで我慢の限界となり、親子で衝突してしまったり、親御さんが先に参ってしまうこともあるでしょう。
私たちは、理解できないことに不安を感じ、理解できることに安心を感じます。
思うようにほめられない時は、無理をしてほめたり、思うようにできない自分を責めるのではなく、まずは自分の大切にしてきた価値観についても考えてみましょう。
自分自身が感じているストレスと自分の価値観とのつながりが見えると、そのストレスとの付き合い方にも少し心のゆとりが生まれるかもしれません。